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法務局から、補正指示

珍しく相続登記2件を相次いで出した、その法務局。

書類作成には万全を期したはずですが…電話がかかってきました。先日のことです。

ただ、なんだか妙なのです。担当者さんのいうことには

  • 添付の一番古い戸籍の記録は大正14年に作成されたもので
  • 被相続人の出生(明治30年)までの戸籍が入手できていないから
  • さらに過去の戸籍をさかのぼるか、記録が破棄されているようならその証明を取った上で相続人全員で上申書を作って実印押してだしてほしい

と。ともかくお達しをお聞きして、おとなしく電話を切りました。(本稿では場所と年は実際のものと変えてあります)

さて。保管してあるデータを見ると問題の戸籍、年号が書いていないのです。

14年に隣県某郡から分家、戸主は被相続人の父、そうした記録からはじまる戸籍です。

被相続人の出生年は明治30年なので、この戸籍の作成(分家)時期を大正14年と読めば僕は被相続人の出生までの戸籍の記録をさかのぼっていないことになります。僕は明治14年と読んだので、さかのぼっていることになるのですが。

…さて、どうしましょう。除籍謄本取ってこい、といわれても…九州だし(苦笑)

ただ、今回に限っては担当者さんより僕のほうが正しい気がするのです。記載されているいくつかの身分関係の記録からそれは明らかだ、と考えられました。

問題はそれを相手に納得させられるか、です。できれば角を立てずに。

なにしろ、普段は(というより、今後も)登記申請に関してはあちらのほうが圧倒的に正しい、そうした相手の集団です。法務局。

何か、この戸籍とは別のところに根拠を見いだせないか、と思ってさらに調べます。

たとえばこの戸籍の記録が、通常訴訟で敵側からの書証として出てきたものなら…普段の僕なら何をチェックするだろう?いくつか考えては可能性を消していきます。その数件目。

冒頭に書かれている本籍地、なんてどうでしょう?熊本縣熊本区○○町××番戸ってのは大正14年に存在してたでしょうか?

Wikipediaによればこの行政区画があったのは、明治11年から明治22年まで。以降は熊本市となっています。もし大正14年に戸籍記録が新たに作られたなら、本籍地を熊本区と記載することは絶対ない、と考えていい。根拠としてはこれで決まり、にしましょう。

この根拠を提示する限り、戸籍のこの場所に大正4年に戸主としてした○○の届け出が書いてあるからどうこう、などという野暮な話をしなくていいのが大変いいのです。

ふだん裁判の相談をやっていて気づくのですが、中途半端な知識をもって相手の間違いを中途半端に叩くと相手から(または、相談担当者から!)無駄な反感を招きます。十分に論破できたうえで紛争解決とともに縁を切れる立場にでもいない限り、そうしたことはしないほうがよさそうなのです。

…そして、僕は今後も登記申請を職業にしたいし、法務局と縁切れになどなりたくない(笑)

というわけで。熊本市のウェブサイトから印刷した同市の明治時代の年表の写しをもって、法務局へと出かけます。
私も気づいていなかったのですが、熊本区は明治22年までしかなかったもので」
と切り出して、ごくごく自然に納得いただけたようです。

今月で、司法書士登録12年を迎えます。

12年に一度くらいなら、僕に非がない補正指示があってもいいかな、そんな話でした。


登記がご専門の先生方から笑われないように書き添えますとこの戸籍、年号を略してある記載が大正の時点での戸籍事項にもありまして、単に年号を記載しているから明治に決まっている、という論法が取れません。

戸籍簿の体裁は明治19年式のものだったのですが、そこは補正指示にあたって注目されなかった、ということのようでした。

相続登記の本人申請をお考えの方には「法務局から言ってくる補正指示は、ごくごくたまに、非常にまれにではあるが、違っていることがある」程度に考えておいてください。

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