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傍聴席から見えるもの

 先日傍聴に行った大阪家庭裁判所での期日。守秘義務に反しない部分=僕のお客さま以外の登場人物の挙動になかなか興味深いものがありました。ところで、訴訟である以上家庭裁判所で扱うものでも大部分は傍聴可能というのはまだ一般的な知識ではないのかもしれませんね。これは家裁での手続のうち、傍聴を許さない家事調停に関する情報と混同されているからなのかもしれません。

 僕はこの期日(証拠調べ)前にお客さまに要請して『同じ裁判官が担当する、できるだけ同じような事件名の証拠調べの期日』の傍聴をしてもらってありました。裁判官の態度や言動を事前に見させて慣れてもらうというのも一つの目的ですが、『その裁判官が、どういう態度の当事者や尋問を好むのか』を知って尋問計画の参考にする、というのも結構重要だと考えています。

 延べ三時間に及んだ期日は、まず敵対当事者=原告側への尋問から始まりました。一般的な意味での正当性、あるいは保護される必要性は一応原告にある類型の訴訟なんですが…

第1幕 裁判所でひとを呪うんじゃない!

当事者尋問の最後にくっつける質問事項として『最後に話しておきたいことはありますか』というのは結構よくあります。労働訴訟では『最後に裁判所に話しておきたいことはありますか』という形で設定するのですがこの訴訟では違っていました。原告側代理人が尋ねたのは『被告の●●さん(僕のお客さま)に言いたいことはありますか』だったのです。原告、顔を上気させて曰く

『●●さんに一生、不幸がまとわりついたらいいと思います』

…馬鹿かこいつは!文字通りそう思いました。いくら正当性が向こうにあるとはいえ、こんな言われ方をするとまず反感が先に立ちます。というより、こういう奴の請求なら踏み倒してOK、よーし頑張ろうぜ、という気になってしまう(笑)

この原告の陳述書は原告側の正しさをのっぺりと並べてたててあって返ってウソくさい代物なんですが、こういう場合、あまり突飛な意向を示すとどうしても発言者が怪しく見えてしまいます。この点原告側では予行演習がしっかり実施できていなかったのかもしれません。いずれにせよ、僕は被告側でよかったです。

第2幕 たしかにここも、本庁だ

証拠調べが終わった裁判官、てきぱきとその後の日程を指示していきます。次回の口頭弁論期日を定めてそれを最後の期日とすること、弾劾証拠と補強証拠の提出はできれば年内に、最終準備書面の提出は期日一週間前、では期日を決めよう、ということで代理人に日程を確認したところ、代理人には差し支えがあるようです。『その時間、(地裁の)本庁の期日があるんですよね』裁判官微笑みながらも間髪入れずに

『ここも(家裁の)本庁ですよ』

そりゃそーだ♪とばかりに笑い広がる法廷内。傍聴席には僕を含めて三名の傍聴者がいましたが、僕が一人で笑いをこらえて痙攣しているほかは特に反応してはいなかったようです。なかなか素敵な突っ込みを見せてくれた裁判官、少し皮肉も入っていたのかもしれません。

閉幕後 紹介無用でお願いします

傍聴席で気になっていたのは僕以外の人。どうやら廷内の人物とは無関係のようです。そのうちの女性一名がいかにも思い詰めた顔をして聞いています。こりゃ間違っても話しかけちゃいけないな(=専門外の事案で面倒ごとを背負い込むことになりかねないな)と思っていたら。

あちらさんから話しかけられてしまいました。閉廷後、場所をラウンドテーブルに移して和解勧試に入ります。当事者とは別にある傍聴人の出口から出たとたん、廊下で『ラウンドテーブルというのは傍聴できないんですか』と。

なるほどこの人、素人さんです。僕はお客さまに随行している関係で廊下で待機しますが、一般の方は和解について傍聴などでお話を聞くことはできません、と説明してお帰りいただきました。その後お客さまから聞いたところではその女性、そちらにも話しかけていた様子です。どうか間違っても僕の事務所を紹介することはなさらないで、とお願いしたことであります。


 家庭裁判所でも本人訴訟をおこなうことは制度上可能です。

ただしそれで好結果を得られるかどうかはわかりません。その人とその紛争次第、です。そうした要素を少しでもご自分有利に傾けたい、という人の準備として、事前に証拠調べの傍聴を経ておくのはわりとおすすめできます。家庭裁判所なら事件名にそう変化があるわけではありませんので、同じ裁判官が担当する同じ事件名の他の事件の証拠調べを傍聴することさえ不可能ではありません。

また、どんな紛争でもつきまとう危険として『そいつの主張としては正しくても、周りから見て支援する気になれない』立場に落っこちることはあるんだな、と労働紛争を離れて改めて認識させられました。先日はそうした傾向のある労働者について以後の依頼を受けない旨通告したところさっそく電話相談の料金を踏み倒されましたが(もちろん督促かけますけど、今回をもって料金後払いでの相談は廃止いたします)、こういう人たちって、自分の主張の怪しさ、あるいは立場の危うさにお気づきなんでしょうかね。そこを認識するという目的であっても、誰かに相談する意義があると思うのですが。

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