心理学者たちの足利事件
覚えていることを、覚えているように話す。それを信じる。
そのことがいかに危うい営みであるのか、を心理学の立場から明らかにしようとした本を、二冊ご紹介します。
職業柄、証言というものに興味があってさまざまな書籍を漁っていたところ、たまたま県立図書館でこの本に出会いました。証言に興味がある、というよりは『証言が、なぜ真実と異なって語られるのか』に興味があって参考書籍を探していたのです。
左の本で衝撃的だったのは、人がその記憶を語るということはそれ自体、語られる人(それは同じ現象に関する記憶を共有している人であったり、敵対的な弁護士や取り調べ担当者だったりするわけですが)とのやりとりを通じて記憶を変容させてしまう可能性を秘めている、ということです。「ネットワークする記憶」という言葉で語られる、この記憶の危うさを、それ自体危ういというのは傲慢なのかもしれません。おそらく、記憶を語るということそれ自体に、話者の記憶を変質させてしまう可能性が、いつでも誰にでも存在するのでしょう。
依頼人に覚えてることを話させたら、依頼人の記憶が真実から乖離していく!?
これはある意味で、裁判事務に関わる全ての司法書士と弁護士にとって究極の恐怖なのかもしれません。
…分断のない過払い金返還請求だけやってりゃ関係ねーよ(冷笑)というのは冗談ではない気がします。むしろ依頼人からの事情聴取に時間を割いてまじめに仕事をする人ほど、熱心に自分の依頼人を誘導あるいは誤導してしまう危険性に向き合うことになりそうです。
では逆に、話者と聴取者との関係ゆえにゆがめられた記憶を、その痕跡をたどって是正できるのか?それができなくても、せめて歪んだ箇所を特定できるのか?
それに心理学者達が挑んだのが、左の本の第6章・右の本の第3章です(右の本は個々の事案に即していて、より分析的、あるいは実務書的です)。足利事件の被疑者であった「S氏」の供述調書の分析結果は控訴審の最終弁論に補充書として添付されたのですが、この時点では控訴棄却となりました。その後再審請求がなされている間にこの本が出版されたのです。そのことを意識して読むと、一層興味深いものがあります。
あるいはS氏の無罪が確定したことで、この本の著者たちはS氏本人から直接、研究の協力を得ることができるようになるのかもしれません。可能ならば、供述心理学の面からも研究が進んで冤罪が減少していくことを願いたいものです。
この二つの本の分析対象はもっぱら刑事訴訟を念頭においているのですが、民事訴訟やそれに至る準備においても誰かの供述を鵜呑みにすることの危険性は、もちろん共通します。特に司法書士の場合にはこうした面の研修がほぼ皆無(相談技法の研修がようやく始まったばかりで、相談そのものが記憶をゆがめてしまう可能性という線までは全然考えない)なので、もう少しこの分野の読書を増やしたいですね。
ただ、同業者の皆さま?この本を読んでしまうと…
『誰かから話しを聞く』ことが、これまでより恐ろしく思えてくるかもしれません(苦笑)
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