民間ADR導入で一般先取特権新時代は来るか?
今日は少々趣向をかえて、同業者さん向け、特に社会保険労務士の皆さん向けのちょっとしたアタマの体操をやってみようと思います。
さてこの春から特定社会保険労務士として活動される皆々様、おめでとうございます。ちなみに私は、研修日に寝坊して受験資格をうしなった落伍者です(失笑)
その研修で、中央発信講義の画面をちょっと思い出してほしいのですが
ADRは、合意内容に違背されても強制執行できないのが短所だ
と、講師の弁護士さんが言っていたのを覚えておられますか?ADRに関する入門的な研修を受けると、かならずこうした一言が、主として裁判手続との対比で持ち出されてきます。一般論としてはそのとおり、ですね。ただし。
労働事案を扱うADRに関してのみ、社会保険労務士会が行う認証ADRでの和解内容に基づいて絶対に強制執行できないとは、必ずしも言いきれないと考えています。労働側であれ経営側であれ、顧客に説明する際にはこの点に気を付けておく必要があります。正確には『強制執行』はできませんが、裁判手続を経ずに『差押命令』の発令を得られる可能性があります。会社側が受ける被害、と言う点では異なりません。
さて、圧倒的大部分の社会保険労務士の皆さんおよび、たぶん結構な割合で司法書士さんも、社会保険労務士会あるいは司法書士会に代表される認証ADR手続で交渉妥結となった際の和解契約書(と、言う名称かどうかはさておき、合意の内容を記載した書類)で強制執行なんかできるわけないじゃん、というのが一般的な理解だと考えます。あくまで一般的な。
労働事案においては、そうではない、ということに気を付けてください。その根拠は民法第306条第2号にあります。司法書士さんでも受験に受かった後なら、普段の業務ではほとんど省みられない、一般先取特権の規定です。たまには条文をみてみましょう。
民法第306条(一般の先取特権)
次に掲げる原因によって生じた債権を有する者は、債務者の総財産について先取特権を有する。
- 共益の費用
- 雇用関係
- 葬式の費用
- 日用品の供給
ここで『雇用関係』という漢字四文字の意味するところはなにか、はそれ自体結構な疑問なのですが、少なくとも
- 労働契約で約定した給料
- 労基法所定の割増賃金
- 労働契約を不利益に変更された部分の給料差額
- 労基法所定の解雇予告手当
- 労働契約所定の退職金
については雇用関係の一般先取特権で担保される債権たりうる、という前例があるようです。
さて、ではこの一般先取特権、具体的にはどう使うのよ?という疑問が社労士さんサイドからは出てくるはずですが、三分クッキング並みに簡単に説明すると
- 上記の権利があることを立証する私文書なり公文書をひたすらかき集めて
- 会社側が持ってる財産権(預金でも売掛債権でも社内の備品でも不動産でも)に狙いをつけて
- 管轄裁判所に差押命令の申立を行うと
裁判やらずにいきなり差押(正確には、担保権の実行)ができて、しかも仮差押えと違って本執行として執行が完了してしまう(ほかに何か、たとえば訴訟の提起などの申立をする必要がない)、という具合になっています。ここで民事執行法第193条第1項にいうところの『担保権の存在を証する文書』とは、とにかく文書の形をとってさえいれば、労働契約書でも給与明細書でも離職票でもタイムカードでもかまわないのです。
さてそうすると、4月以降活動をはじめる認証ADR機関が手続の終了時に作成する和解契約書等の文書は、言ってみればただの私文書なのですが、もともと担保権の実行の開始要件として、提出できれば私文書であっても全然かまわない民事執行法193条を素直に読めば、当然ながら使用可能になってきます。
では社労士会のADR手続で作成された和解契約書があったとして、それだけを添付書類(民事執行法第193条所定の、担保権の存在を証する文書)として、しかも記載の全金銭債権について一般先取特権の実行が可能か、といえば
まず、そのようにはならない
と考えた方がよいでしょう。世の中そんなに甘くないはずです。
なぜならば、特に雇用関係の一般先取特権の実行としての、例えば債権差押申立にあっては、それが給料未払いを理由とするなら、
- 訴訟をやって勝てるだけの要件事実を摘示し、かつ立証しきるだけの書類の集積と、
- その書類の真正さについての立証の完了
が求められるからです。このうち、2.書類の真正さについては適当につくったメモ書きや捺印がない労働契約書なんかよりも、認証ADR機関がつくった和解契約書のほうが真正さへの懸念はずっと少ないことは当然考えられます。
しかしながら、1.の要件事実(例えば給料未払いならば、労働契約の存在・賃金額の合意・労務の提供の三要素)をもれなく記載しきった和解契約書がポンと出てくるか、がとっても疑問です。過程を端折って結論だけ=支払金額だけを示されたら非常にまずいことになってしまうでしょう。また、たとえば不当解雇や性的いやがらせにともなう慰藉料債権は一般先取特権で担保されるのかは、やった事例を知りません。だれか挑戦者の出現を待つよりほかないところです。
それでも、例えば今は労働局で扱わない『給料未払い』事案について、民間ADR機関が扱う場合、あるいは退職を巡って解雇予告手当や退職金の支払い条項を定めるときには、これらの金銭債権は順当な形で一般先取特権で担保され、それゆえに民間ADR機関がこれらの紛争解決にあたって作成した和解契約書は、記載内容によっては民事執行法第193条第1項所定の『担保権の存在を証する文書』に該当しうる=結論として、民間ADR機関が作った和解契約書で一般先取特権の実行としての差押命令が発令される場合がありうる、と考えたほうがよいことになります。
・・・すると。いま民法第306条をみるかぎり、雇用関係のほかには一般先取特権で担保される債権として、共益の費用だの葬式の費用だの日用品の供給、といった項目が並んでいるにすぎません。まさか葬儀屋さんが遺族を狙って債権差押えをどんどん行う未来が来るとは思えませんし、水道光熱費や食料費をいくらツケにできたとしてもたかが知れているはずですので、一般先取特権の規定は事実上労働紛争を視野において存在を意識すべきもの、と考えればよいはずです。
そして労働紛争の場合、時効消滅さえしなければ未払いの賃金+退職金で請求額が累計数百万、ということも当然あり得ることになり、会社側にはなんら事前通告なく差押命令が発令されてしまう一般先取特権に基づく差押申立は、時に会社を破綻させるに十分な破壊力を発揮します。もちろん、破綻寸前の会社から迅速に財産を分捕るにも十分な戦力たり得ます。
そうすると、近い将来ついうっかりとそのへんの社長さんに『社労士会のADRでは合意内容を履行しなくても強制執行はされませんから、手続に応じたらどうですか~』なんて、顧問社労士が気楽に助言してしまったら?
その後軽い気分で退職金かなにかの分割払いを目的とする和解を成立させ、社長が油断して一回分割金の支払を怠っただけで…
いきなり売掛金を差押えされ、資金ショートにより会社は法的整理突入!
という未来がやってくるかもしれません。助言した会社側社労士は、それこそ社長から一生恨まれること確実です。
逆に労働側での手続担当者は万々歳なのでしょうが、そうしたことが可能かどうかは、各民間ADR機関の実施担当者がこうしたことをどれだけ考えて和解契約書を作り込んでくれるか、にかかっています。
で、実は私自身、あんまり期待はしてません(笑)おそらくは、差押申立を受ける裁判所の書記官連中からみて『会社側の印鑑証明書つき債務承認弁済契約書の一種』程度にしか評価されず、ほかの資料で補充しなければならない状態がしばらく続くだろうと見ています。
ただまぁ、うまく工夫すれば執行約款つきの公正証書をつくったり即決和解の申立を別途おこなう手間やお金を節約できますので、どうせなら綺麗な和解契約書の作成を目指して努力してほしいもんですね。
僕もまだ、一般先取特権の実行をしたことは三件しかありません。来月からの民間ADR実施を視野においてこの一年半の間に、一般先取特権が使えそうな事案を探していたのですが、申立にたどりつけた実績としては名古屋で一件、大阪で二件のみです。また、特に大阪地裁執行部では、要件事実を巡ってちょっと厳しいと思える対応を受けた印象があります。三件とも申立が成功したのは救いではありますが、それでもずいぶんいろいろな書類を集めました。
もともとがとんでもなくマイナーな手続類型(平成17年の、名古屋地裁の(ナ)号事件の件数約100件。この中には、動産売買など特別の先取特権実行も含む)ですので事例が集積されておらず、ゆえに対応にばらつきがある、ということもあるのでしょうが、願わくば世にもう少し労働側の司法書士さんが増え、その人たちが社労士さんと連携して(あるいは司法書士会でも、労働紛争をADRで扱うことはあるならその成果を生かして)、ぜひ一般先取特権での差押申立を試してみて欲しいと思います。
« 受けたいけれど受けない依頼 | トップページ | 『絶対ないっ!』-失言・失言・また失言- »
「労働法・労働紛争」カテゴリの記事
- AIの助力で作る死傷病報告の略図(2024.05.31)
- 歓迎か謝絶か自分でもよくわからない回答(もちろん労働紛争労働者側)(2021.11.27)
- 言い放題な就業規則の納品説明-飲食店編-(2020.07.28)
- 週末の、就業規則三点盛り(2020.07.26)
- ブラック社長 of The Year 甲乙つけがたい候補の件(2018.11.30)
コメント