過去の電話帳で所在不明な登記名義人を探したい。
でも、そうした電話帳は国会図書館にしか所蔵がない、という不都合な真実からはいったん目をそらして、お話しを続けるとしましょう。調べたことが多いので前口上も長いのですが、簡単なHow to記事を期待する安直さでこの資料にあたることは、どうやら好ましくありません。
今回は資料としての過去の電話帳の特徴をまず説明します。
○所蔵されている期間
国会図書館ではおおむね昭和39年以降、昭和40年代前半からは全国の電話帳を所蔵しています。ときどき欠けている年もありますが、個人名・企業名とも昭和40年代以降、あらかた揃ってると思って差し支えありません。
それ以前のものについては、民間業者が作った「私製の」電話帳の所蔵を見いだせることがあります。これは大都市のものしかなさそうですので、よほど困ったときでなければ無視してよさそうです。
…などという安易な決めつけを口走るような人間をこの調査の担当者にしてはいけない、という話なんで気をつけてください(笑)
○収録件数の推移
昭和40年代の社会動向をちょっと考えてみてください。
- 地方の山村では同時期の前から人口減少が始まっています。
- 一方で、各世帯への電話の普及が一気に進んだのもこの時期です。
このため、今回調査した宮崎県の山村では昭和40年代から50年代までは電話帳の収録件数は増加、以降60年代にかけて横ばいから減少、平成に入ってからはどんどん減少、という傾向を示します。いわば昭和50~60年代が電話帳の黄金期でして、国勢調査の結果把握された世帯数に対して個人の電話番号の収録件数はこの時期、80%を超えてきます。
一言でいうと、「昭和50年代の農山村において、世帯の8割以上をカバーしうるデータ」が電話帳、ということになります。
明治時代に最後の登記の記録がある人にここまで生きててくれ、というのはちょっと厳しいかもしれませんが、農地改革で自作農になった人なら残り30年生きてくれれば電話帳で捉えられる圏内にかかってきます。
○収録形態の変遷
実は、電話帳に番地までの住所が掲載されるようになったのは昭和60年代以降です。この点に注意する必要があります。
それ以前は、一部を除いて大字までしか記載がありません。ですので電話帳から読み取れるのは
- 氏名
- 氏の読みの、第1文字目(鈴木なら、「す」)
- 電話番号
- 住所または、大字までの住所
これらのほか、場合によっては個人事業主の業種(建築、養豚、林業、薬局、など)もカッコで添え書きされていることがあります。たとえば鳴海町長田32番地の代書人なら、こんなふうに。
鳴海町
す
上記の住所に長田32-703という記載が加わるのは昭和60年代以降です。さらに、行政書士と司法書士が一緒にくくられていることもあったようです。
電話番号も少しずつ変化します。
昭和40年代前半までの農山村では地域団体加入電話というものがあり(僕も初めて知りました)どうやら一つの電話番号に数件の加入者がぶらさがっていて、交換手を通して通話する、ということだったようです。同じように地域で私営の交換台を経由する電話として、農村の有線放送と一緒に運用される電話やらなんやらがあった、と上記リンク先には書かれています。
ですので同時期の電話帳には、時々おなじ電話番号を与えられたたくさんの人の集団が載っています。最初は5桁あった市外局番が4桁になり、市内局番が1桁から2桁へ変わる、というのもありがちです。
ですが、番号の付け方はさておき電話帳に載ってくる人は
- その電話が引かれている家で1人だけ、
- おそらくはその家を所有していたり、世帯主である可能性が高い人、
と推測して差し支えありません。
※これは年齢40代より上の人なら経験に照らして納得できるはずですが、なかには「契約者死亡後、電電公社に対する名義変更を遅らせた」ために死亡後しばらく死亡者名義のまま、というパターンもあるはずです。ウチがそうだった記憶があります(笑)
電話帳にもう一つ大きな変化が訪れるのは1990年代後半、つまり平成初期です。
このころから、CD-ROMに全国の電話帳データが収録されたコンピュータソフトの発売が始まります。プレスリリースを見ていると、当初は個人・法人あわせて全国で4千万件を超えていた収録件数は、現在では3千万件を割るところまで減っているようです。
そんなこともありまして、当事務所ではできるだけ発売時期の古い電話帳ソフトをヤフオクで探索中です。これが手に入れば探索方法もずっと多様化するのですが、いずれにせよ昭和時代のデータは紙媒体を目視で見る、という作業を強いられることになります。
○利用方法1
たとえば昭和20年代に土地を取得し、今はその住所地に住民票がない、手紙を出しても宛先不明で返ってくる、という人がいるとします。名前を甲野一郎、としましょうか。
まずその人の住む市町村を収録した電話帳でその所在を確認します。
前述のとおり収録状況が充実しているのは昭和50年代の電話帳ですので、ここから調査に入ります。収録が無ければ念のため年代の早いものにさかのぼります。
ここでは氏名の記載が確認できるかもしれません。住民票は死亡後5年で廃棄されるのに対し、いま見ているのはまさに昭和50年代のデータだからです。
運良く見つかったら、新しい電話帳を数年おきにチェックして掲載を確認していきます。
同じ市内局番の区域であれば、転居しても電話番号が変わらないことは多いです。したがって、転居しても同様に…というより掲載位置すら変わらずに追い続けることができます。
ある時点で甲野一郎の記載がなくなり、同じ住所・電話番号で甲野二郎または花子の掲載が始まることがあります。
これは、相続で順当に名義が換わったことを示しています。
ですので調査対象を甲野二郎または花子に変えて調査を続け、住民票が取れる時期まで引き寄せます。関係者が生きていてくれればそれでよし、仮に記載がなくなっても、過去5年以内であれば住民票の除票が、この例では甲野二郎または花子で取れるはずです。
住民票には本籍が記載されているわけですから、あとはどうにでもなります。
※住所が番地までわかるようになったら、ここでいったん「住所地の土地の登記情報」を取るのは悪くありません。山林や原野は放置していても、自分が住む場所だけは相続登記している、というのはあり得るパターンです。こんどはその土地の所有者から、関係者がたどれるかもしれません。
○利用方法2
上記の例で甲野一郎の名前では掲載が消えてしまい、同じ名字の人もいない、というパターンがあります。
この場合は、少々手間はかかりますが次の年の電話帳で『おなじ電話番号』の誰かをひたすら探します。通常は死亡や転出で空いた電話番号をすぐ他の人に割り当てることはないので、翌年から同じ電話番号の誰かが出てくるようなら、これは甲野一郎と関係がある人物と一応推定します。住所まで一致していれば、まず無関係ではないでしょう。
ただ、さすがにこの人の住民票を請求するわけにはいきませんからこの人についてさらに電話帳を調査し、生存していそうなら手紙を出してみる、といったアプローチから始めるのがよさそうです。
○利用方法3
調査の始点を別の氏名から始めることはできるかもしれません。
調査対象者の住所地に該当する地番で、コンピュータ化に伴う閉鎖登記簿謄本をとってみたらどうでしょう。住所がある以上、そこには誰か住んでいたはずです。建物が登記してあればなおよいでしょう。
そうして同世代の人の記載を見いだせたら、その人または相続人を上記によって追跡してみる、ということも当然できます。電話帳自体は、閲覧はタダですから。
○利用方法4
電話帳に住所が番地まで表示されるようになったのは昭和60年代からだ、という限界はありますが、上記1~3で成果が挙がらない場合、あえてこの時期の電話帳から調査を開始することもできそうです。
調査対象者の住所とおなじ番地に住んでいる人をなんとか目視で探し出し、その人を追跡しつつその人の住所地の登記情報を取得して関係の有無を推定する、ということになるでしょうか。理論上は可能ですが、収録件数が多い大都市ではあまりやりたくない手法です。
○利用方法5
調査対象者が他の市外局番の地域に転出したらもう追尾不能ではないか、と言われれば確かにそうです。
確実に転出時期と転出先自治体がわかっていれば、「ある時期に転出先で新しく電話帳に掲載されるようになった甲野一郎」を発見して調査を再開することは一応可能なんですが、転出先や時期といったメタ情報の取得を期待するにはそれこそ近隣の方々への聞き込み調査をする必要があるでしょう。
条件付きで解決策になりそうなのは、前述の電話帳CD-ROMです。こうした装備があれば、収録時点でのデータに基づいて「同じ人名を、全国で」探すことができます。
とりあえず、全国で(苦笑)
あとは発見できた各候補者について紙の電話帳をさかのぼり、転出前自治体の電話帳から収録が消えた時期と転出後自治体で収録が始まった時期が連続する同姓同名の人物については同一人物の可能性大、と認定すればいい…ということにはなるでしょうか。
恐ろしい労力にはなりそうですが、一応可能です。
そんなわけで、当事務所では少なくとも収録時期について数年の間をあけた中古の電話帳ソフトを揃える必要がありそうだ、というお話しになりました。
追記
連絡不能・所在不明な登記名義人の探索および休眠抵当権の抹消に関するページの公開を、5月から開始しています。
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